2023年、甲子園決勝戦が終わり、慶応が107年振りに制覇。今年もたくさんのドラマを見せてくれた甲子園。野球にわか勢だけれど、もしかしたらプロ野球よりも好きかもしれない。細かいルール等全然分からない自分でさえ、こんなに感情揺さぶってくれるんだもん。
準優勝の仙台育英の須江監督が、インタビューで残した言葉が話題になっている。
「人生は敗者復活です。この経験を次に活かします」
どん底の状況から這い上がる系が大好きで、そんな経験を気持ち多くしている自分にとって、心に突き刺さった一言だった。今現在抱えている様々なモヤモヤ、コンプレックス、劣等感…。一生このままかもしれないと不安に感じる日々。そんな暗い感情を受け入れ、光まで射してくれるような言葉だった。
「人生は敗者復活」という言葉を目に、耳にした時、これまでの自分が「敗者復活」してきたものって何だろう?と考えた。そういえば、幼少期はコンプレックスだった事が今では周囲から褒められたり長所と捉えてもらったりする事があるな…と、自分にも少なからず「敗者復活」のような経験があったんだ、と振り返る。
自分の声が嫌い
あるあるかもしれないけれど、録音や録画された自分の声を聴くのが嫌いな人は多いと思う。勿論自分もそのうちの1人だった。なんなら録画された映像で自分を見るのすら嫌いだった。恥ずかしいよね。
昔々、自分でさえ好きではなかった声を、周りにからかわれる経験をした時期があった。そして尚更、「自分の声は変なんだ…変な声で話していると、それだけで笑われるんだ…」と劣等感が深まった。軽い気持ちでからかったんだと思うけど、今でも相手の顔は覚えているし嫌な気分になる。安易にこういう事言っちゃいけないんだと反面教師で学んだ瞬間でもあった。
コンプレックスからの敗者復活
それが「敗者復活」したのは社会人になってから。声が嫌いでも仕事で話をしなきゃいけないし、カラオケに行けば歌う機会もある(歌う事自体は嫌いじゃなかったけど、声が嫌いなのは変わらない)。周りは大人だし、気を遣ってからかわないでいてくれてるんだろうな…大人は優しいな…と思っていた。
声にコンプレックスを抱いていたから、それ以外の部分で挽回してやっとプラマイ0になる…と思い込んでいた為、語気を強めないようにしたり、落ち着いて丁寧な表現で話す事を心掛けた。相手に威圧感を感じさせる話し方をする人が近くにいたので、逆を目指そうと試行錯誤してみた。
ある時、電話応対をしていた時。「いい声だね。聞きやすいし、落ち着くような話し方だなって思って聞いてるよ」と、何人かが声をかけてくれた時期があった。その時初めて、コンプレックスが解消された感覚になった。
もしかしたら、大人になるにつれ声帯が上手く成長して、変に思われていた部分の声が変わったのかもしれないし、声の出し方が変わったのかもしれない。色んな理由があるとは言え、人よりも「マイナス」と思っていた事が「プラス」に捉えてくれる人が居ると知っただけで、自分の中では飛躍的な成長だった。それと同時に、強いコンプレックスが解消された気がした。
今後の「敗者復活」
その他にも、見た目やコミュ力等、幼少期にはコンプレックスでしかなかったものが大人になって「強み」になった(と言われるようになった)事がいくつかある。当時は全く想像できなかった事ばかり。
…ってことは、今抱えているコンプレックスも、いつかは分からないけれど、いつのまにかそうではなくなる可能性も、0ではないかもしれない。
監督が話していたように、「次に活かす」事で、少なくとも今よりは1歩進めるかもしれないし、その小さな1歩が大きくなることで、結果「敗者復活」に繋がるかもしれない。
立ち止まらず、問題に目を向けて、だけども無理のないペースで、少しでも人生の敗者復活出来る事を増やしていけたらいいなあ。
今でも好き嫌いで言うと、自分の声は好みではない。けれども、人前で話しても嫌がられない、気を遣わせないと思えるだけでも、心持ちは変わる。敗者復活したなーと思う。
久しぶりに素敵な言葉に出会えて、たくさん考えて嬉しかった話でした。
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